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京都地方裁判所 昭和56年(ワ)17号 判決

原告(反訴被告) 松波染工場こと 松波義雄

右訴訟代理人弁護士 和田政純

被告(反訴原告) 十川エンジニアリング株式会社

右代表者代表取締役 十川小ぬい

右訴訟代理人弁護士 柴田耕次

主文

一  原告(反訴被告)の請求を棄却する。

二  原告(反訴被告)は被告(反訴原告)に対し金三四〇万円及びこれに対する昭和五六年九月一一日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告(反訴原告)のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は本訴反訴を通じて全て原告(反訴被告)の負担とする。

五  この判決は第二項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一本訴請求の趣旨

一  被告(反訴原告。以下被告という)は原告(反訴被告。以下原告という)に対し、金六、四九四、四五〇円及びこれに対する昭和五六年一月二一日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言

第二本訴請求の趣旨に対する被告の答弁

一  主文第一項同旨

二  訴訟費用は原告の負担とする。

第三本訴請求についての当事者の主張

一  本訴請求原因

1  原告は被告との間に、昭和五三年一二月一五日黒染廃水処理装置設置工事の請求契約を次の内容により締結した。

(一) 請負代金は八五〇万円とし、うち契約時に金五一〇万円を支払う。

(二) 工事期間は昭和五三年一二月二〇日から昭和五四年三月三一日とする。

(三) 工事中の事故についてはすべて被告の責任とする。

(四) 工事に関し付近住民との間に紛争が生じたときは、被告が一切の責任をもって解決するものとし、原告に何らの損害も与えない。

2  ところが、被告が昭和五三年一二月二六日本件工事に着工したところ、本件工事に伴う騒音及び震動について鳥居久泰ら近隣住民から苦情を受けたため、被告は基礎工事をしたのみで以後原告の工事続工の要請にもかかわらず約一年九か月もの間工事を中断したまま放置した。

被告は、前記特約により自己の責任において、近隣住民との紛争を解決する義務があるにもかかわらず長期放置していたため、やむなく原告は昭和五五年六月京都地方裁判所に前記鳥居久泰ら五名の近隣住民を相手方として工事妨害禁止の仮処分を申請したところ、相手方が工事妨害の意思のない旨書面により陳述したことから、同年九月右仮処分申請は妨害行為をなすおそれがないとの理由で却下された。

3  原告は被告に対し、右仮処分申請が却下される直前に、近隣住民には本件工事を妨害する意思のないことが明らかになったから、工事を続行するよう請求したところ、なお工事を続行しなかったため、昭和五五年八月三〇日付内容証明郵便により、本件工事を直ちに続行する意思及び原告に対する工事遅延による損害賠償を行なう意思の有無の回答ならびに右意思のないときは本件請負契約を解除する旨意思表示をなしたところ、右書面は同年九月一日被告に到達し、右回答期限である同月六日までに被告からの回答がなかったため、本件請負契約は同月七日解除された。

4  その後原告は、昭和五五年九月八日京都水研株式会社、松村化成京津土木工業株式会社及び京都鋳物鉄工株式会社に本件工事の残余工事を請負わせ、右工事は近隣住民の妨害を受けることなく同年一〇月二七日完成した。

5  原告と被告間の本件請負契約は被告の債務不履行により解除されたが、このため原告は次の損害を蒙った。

(一) 原告は被告の工事完成が遅延したため、京都市の廃水基準に違反していることから、原告工場内において染物の水洗いができなくなり(本件工事は右廃水基準に適合した処理装置の設置が目的であった)、やむなく昭和五四年九月から昭和五五年一〇月まで有限会社小松染工場の施設を利用して染物の水洗いをせざるをえなかった。この間の使用料として原告は右有限会社に金三、八四〇、二五〇円を支払った。

(二) 被告が契約通り本件工事を完成していれば工事代金は八五〇万円であったところ、前記のとおり京都水研外三社に残余工事を請負わせざるをえなかったため、右工事代金として京都水研に対し金五三〇万円、松村化成に対し金四八五、〇〇〇円、京都鋳物鉄工株式会社に対し金二五九、二〇〇円及び京津土木工業株式会社に対し金一万円合計金六、〇五四、二〇〇円の支払いを余儀なくされ、結局本件工事代金として合計一一、一五四、二〇〇円を要し原告は被告との請負代金より二、六五四、二〇〇円の出費増となった。

以上原告は被告の債務不履行により前記(一)(二)合計金六、四九四、四五〇円の損害を蒙った。

6  よって、右金員及びこれに対する本件訴状送達の日(昭和五六年一月二〇日)の翌日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  第1項のうち、(四)を否認し、その余を認める

2  第2項のうち、被告が昭和五三年一二月二五日に工事に着工したこと、本件工事につき鳥居らから苦情を受けたこと、原告が工事妨害禁止の仮処分を申請したことは認めるが、その余の事実を否認する。

3  第3項のうち、被告が工事を続行しなかったこと、原告主張の書面が被告に到達したことは認めるが、その余の事実を否認し、法律上の主張を争う。

4  第4項のうち、工事が近隣住民の妨害を受けなかったとの点を否認し、その余の事実は知らない。鳥居ら近隣住民の代理人であった村井弁護士は、事前に原告と京都水研株式会社等に対し、原告と近隣居住者との話し合いがついていないにも拘らず、原告が施工業者を替えて工事を強行しようとしていることに強い憤りを感じていて、円満な話し合いによる解決をみないうちに工事を強行するのであれば、近隣居住者は工事強行を断固反対し、これを阻止する決意である旨の意思を表示していた。そして、現実に工事中の反対運動は強硬になされた。

5  第5項の事実は知らない。また原告主張の損害は、被告の遅滞と相当因果関係がない。

三  被告の抗弁

本件工事の遅延は、以下に主張するとおり原告の責に帰すべき事由によるものであって被告に責任はなかったから、原告に解除権は発生しなかった。

1  本件工事の当初、多少の騒音及び震動により、近隣家屋に僅少の損傷を生ぜしめたことは事実であるが、その家屋が老朽化していたこともあって、住民側より相当因果関係の範囲を大巾に超えた損傷部分の修理要求があった。しかし、被告としては、工事施工の促進を計る必要から、因果関係の範囲を争わず、住民側の要求どおり総工費三一六万一、〇〇〇円をかけて補修をなすとともに、その上に今後の被害補償につき原被告連名の確約書まで差入れて、工事再開を要請した。

それにもかかわらず、住民側からその再開を拒否されたのであるが、その理由とするところは、原告が近隣住民の鳥居圭太郎と境界争いを惹起したのみならず、

(一) 施主松波染工場代表者原告並びに松波昇は、一貫して近隣に対する態度及び言動が極めて無責任であり、又近隣と協調する気持が全く認められない。

(二) 施主松波染工場が確約書記載の内容を確実に履行するにつき、不信であるばかりか、誠意が全く認められない。

(三) よって、請負業者被告が、それまでに行った修復工事を完全に行ったことを確認するが、右(一)(二)の理由により、被告と関係なく、被告の公害防止施設工事再開を反対する。

というものであった。

2  それがため、被告は工事再開が出来るよう近隣住民と原告間の仲をとりもち、必死に努力したのであるが、原告側の不遜な態度のために、近隣住民が益々反対の気勢をあげることとなって、その間の調整は非常に困難となり、被告は工事再開に手がつけられず、やむなく原告に対し、

(一) 住民側の書面による工事再開の同意書

(二) 被告に対し、本件関連して一切の損害賠償を要求しない書面

(三) 残工事代金の支払保証

の書面の交付、又は確約をするよう申入れざるを得ない状況にまで発展するにいたった。

3  原告は、仮処分申請が却下される直前に近隣住民には本件工事を妨害する意思のないことが明らかになった、と主張するが、当時被告が住民側に問合したところ、住民側は依然妨害を明言しており、且つ住民側代理人弁護士村井豊明に書面をもって、第2項(一)乃至(三)の反対意思に変更があったか否か照会したところ、何等変更のない旨の回答を得た。

四  抗弁に対する認否

否認する。

第四反訴請求の趣旨

一  原告は被告に対し金四、六一八、八一〇円及びこれに対する昭和五六年九月一一日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

三  仮執行宣言

第五反訴請求に対する原告の答弁

一  被告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

第六反訴についての当事者の主張

一  請求の原因

1  被告は、原告との間で昭和五三年一二月一五日黒染廃水処理装置設置工事の請負契約を、次の内容により締結した。

(一) 請負代金は八五〇万円とし、その支払いを契約時五一〇万円、工事完了時二五五万円、試運転完了時八五万円とする。

(二) 工事期間は、昭和五三年一二月二〇日から昭和五四年三月三一日とする。

(三) 施行工事中の事故(労働災害、建物の破損等)については、全て被告の負担とする。

2  そして、被告において右工事に着手し、施工していたところ、前項被告の抗弁主張状況となり、やむなく工事を中断していたのであるが、原告はこの近隣居住者の強硬な反対運動に対し、その意向をまったく無視し他の業者をして右工事を強行し、本件工事を完了さしてしまった。

3  原告は本訴において、被告の履行遅滞を理由に契約解除をして損害賠償を請求するのであるが、被告は何等の債務の不履行をなしていないのであるから右解除権は存在せず、それが故に右解除の意思表示を民法六四一条による解除として、原告は被告に対し生じた損害を賠償する義務がある。

4  損害

(一) 被告が本件工事により完成部分施工に要した費用は、別紙第一目録記載のとおり六二七万七、六七〇円である。

(二) 本件工事中止にともないすでに購入しているが、返品不能で他に転用できない資材、並びに工事中止期間中現場を安全に保存するために要した費用は、別紙第三目録記載のとおり二四四万一、一四〇円である。

(三) 本件黒染廃水処理装置は、嫌気性菌を用いた六価クロム除去の原理を生かし、六価クロム、全クロム及び悪臭除去の方法を兼ね備えた実用化処理装置の考案設計にもとずくものであるが、この考案設計は被告の研究、実験、分析にもとずく工夫のもとに完成されたものであって、実用化技術開発料として金一〇〇万円以上が相当である。

(四) 損益相殺

被告は原告より本件契約時に五一〇万円の支払いをうけている。

5  よって、被告は、原告に対し、右損害(一)(二)(三)の合計九七一万八、八一〇円より受領分の五一〇万円を差引いた四六一万八、八一〇円とこれに対する反訴状送達の日(昭和五六年九月一〇日)の翌日から完済まで民法所定年五分の遅延損害金の支払いを求める。

二  反訴請求原因に対する認否

1  請求原因第1項は認める。

2  同第2項中、被告において本件工事に着手し、施工していたこと、及び工事を中断していたこと、ならびに原告が他の業者をして右工事を完了させたことは認め、その余は否認する。

3  同第3項中、原告が本訴において反訴原告の履行遅滞を理由に契約解除をして損害賠償を請求していることは認め、その余は否認する。

4  同第4項(一)ないし(三)は不知、同項(四)は認める。

5  同第5項は争う。

第七証拠関係《省略》

理由

第一  本訴請求についての判断

一  請求の原因第1項(但し(四)項を除く)、被告が約定の期限を過ぎても契約にかかる工事(以下本件工事という)を完成しなかったこと及び原告が履行遅滞を理由に条件付で本件契約解除の意思表示をなしたことは、いずれも当事者間に争いがなく、被告が昭和五五年九月六日までに原告に原告主張の回答をしなかったことは被告が明らかにこれを争わないから、これを自白したものとみなす。そこで次に被告の抗弁について検討する。

二  《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。すなわち、

1  被告が昭和五三年一二月二五日に土留の杭打ち工事に着工するや、震動のために付近に居住する鳥居久泰方居宅等の壁にひびを入らせてしまったため、同人ら付近住民からの強い申入により工事を続行することができなくなった。

2  翌五四年一月四日に、原告と被告の担当員小谷と鳥居ら付近住民が工事再開について話し合ったが、鳥居らが既発生の破損箇所の修理をすること、爾後に生じうる破損の補償、二次公害の保証等を約束し、書面化することを要求したのに対し、被告は同意したものの、原告は、被告との特約(請求原因第1項(三))を盾にして、工事に伴う損害については被告が責任をもつことになっているから責任を負うわけにはいかない旨を答えた。そのため鳥居らは、施主と施工者の内部関係を理由にして外部の者に無責任である、施主としての責任があるではないかと憤激し、話し合いはまとまらず、鳥居らが工事再開に同意しなかったため、被告は工事を再開することが事実上できなくなった。

3  その後原被告は折衝を重ねたが、原告は、被告が外部の者に対する責任をとることになっているから、住民への責任を約束することはできないとの態度をとり続けたために、埓があかなかった。しかし、三浦弁護士の指導もあって、三月一二日に至ってようやく原被告は、付近住民の被害補償、二次公害についての被害補償等の責任を原告は一切負担せず、被告がこれを負担すること、住民の要求については被告が解決すること等を骨子とする協定書を結んだうえ、原被告は連名で鳥居ら四名に家屋の破損については責任をもって修復すること等を内容とする確約書を交付した。そのため鳥居らは工事再開を諒解したので、被告は同月二〇日頃から工事を始めた。

4  ところが、被告が掘削工事中の三月二五日に、地下約二メートルの所から鉄砲水が憤出したため、再び工事を中止せざるをえなくなった。これは本件土地の地形上予測不能の事態であった。しかし、そのまま放置すると鳥居ら居宅への危険があったため、とりあえず被告が地下水槽だけは完成させて、その後に鳥居ら居宅の補修を完成させることで関係者間に合意が整い、右地下水槽の工事は四月一五日から五月二〇日にかけて完了した。そして、これの前後頃からは、前記協定書が締結されていたことと、住民が原告に対し強い悪感情をもっていたことのために、工事の早期完成を望む被告が、前面に出て住民側との折衝を行うこととなった。

5  その後、被告は右約束により鳥居ら居宅の補修工事にかかったが、六月の初旬頃に鳥居方居宅の敷地と原告の敷地の境界問題が発生したため、鳥居方の補修が出来ず、その結果本件工事も再開することができなくなった。右境界問題とは大略次のとおりであった。すなわち、もともと鳥居の居宅は三戸一棟の長屋の中央部であったが、原告とその弟の松波昇がその両隣を買取って、その東側部分(その敷地が本件工事現場)を取りこわしたため、鳥居方の側部壁面が露出することになった。ところで、右部分には前年の被告の工事のために亀裂が生じていたために、被告がこれの補修をなそうとしたところ、原告は、鳥居の敷地は両端の柱の中心線までであるから、柱の中心線を越えて壁を塗ることは原告の所有地を侵害するとして、被告に右補修を中止させた。しかし鳥居は、壁の塗りかえは、工事による破損の原状回復であるから、境界とは関係なく速やかに行うべきだと反撥した。両者の話し合いは一時原告が鳥居の居宅を買取ることを申入れるにも至ったが、原告は買取って取こわすことを考えていたため、補修費を上積みして売買代金を決めるのが有利と考え、被告に補修を見合わせさせた。

その後、原告は、鳥居との境界問題を先送りとして、壁の塗り替えに異議を唱えなくなったため、被告は七月の末頃鳥居宅の補修を完了した。なお、被告は他の被害家屋の修復については七月の初旬までにはほぼ完了していた。もっとも、付近住民は更に新たな被害を申出たため、被告はこれの修復にあたらねばならず全てを完了したのは八月末であったが、これらの工事のために被告は三〇〇万円以上を支出した。

6  被告は右の手段を講じた後工事を再開せんとしたが、鳥居ら付近住民五名は九月一〇日被告に対し、原告の言動は無責任であり、前記確約書の履行に疑念があるとして工事再開の反対を表明したため、またまた工事を再開することが事実上できなくなってしまった。そこで、被告の代理人柴田弁護士は、九月一一日に原告に対し乙第四号証を要約して付近住民の動向を通知した。その後も鳥居ら付近住民は原告と松波昇の人格に強い不信感を抱き、施主としての責任を果すのでなければ工事の再開に反対するとの意向を強めた。これの前後頃の一〇月に、原告は住民を相手として京都簡易裁判所に調停を申立てたが、住民側の要求と折合えず、不調となった。そのため被告は、一一月の下旬と一二月の四日に、原告に対し、住民側の書面による工事再開の同意書等の交付又は確約あるまでは工事を再開できない旨を通知したが、一回目の通知は原告が受領を拒否した。しかし付近住民の原告に対する不信は解けないまま年を越し、五五年三月には、新たに原告の交渉代理人となった田中久司の対応が更に住民の神経を逆撫でするような結果を生んだ。

7  かくて、原告は被告及び付近住民と対立したまま経過した後、五五年六月に鳥居ら住民五人を相手にし、相手方は不当な要求をなして工事再開を実力によっても妨害しようとしているとして、京都地方裁判所に工事妨害禁止の仮処分申請をなした。これに対しては鳥居らも弁護士を代理人に選任して応訴し、工事の再開には反対だが物理的に工事を差止める考えではない旨を申述したため、九月に右仮処分申請は相手方が妨害行為をなす蓋然性が高度であることにつき疎明がない、として却下された。そうして、この間原告は、住民が工事自体には反対していないとして、工事の再開を請求し、被告から前記条件が満たされないうちは応じられないとの回答をえて、八月三〇日発信の書面により条件付の契約解除の意思表示をなした。

8  しかし、鳥居ら付近住民は、右仮処分決定時の前後に亘って、話し合いがつかないままの工事再開には同意できない旨を原被告に表明していた。そのため被告は、先に京都市下水道局係員から「公害防止も大切だが住民との円満な関係も大切だから工事を待つように」との行政指導が原被告になされていたこともあって、工事を強行することはできないと判断して、工事再開を見合わせた。

9  その後原告は、被告との契約を解除したとして、九月から一〇月にかけて京都水研株式会社等に残余工事を請負わせ、工事を完成させた。右工事に対し、付近住民は物理的な妨害行為はしなかったが、京都水研に対し、従来の経緯を説明して、話し合いが済むまでは工事を開始しないように申し入れた。

三  そこで右に認定した事実のもとで、本件工事の遅延が被告の責に帰すべき事由によるか否かについて判断する。

1  本件工事が大幅に遅れた一番の原因は、鳥居ら付近住民が工事に強く反対したためであったことは明らかであり、被告は早期完成を図っていたのであって故意に引延したものではない。ところで付近住民が工事に反対するようになったのは、当初被告の土留工事が適切を欠いたため、鳥居らの居宅に損傷を与えたからであった。しかしながら、被告は右責任を認め、これを補修する意図を有し表明していたから、住民と原被告の関係が円滑であれば、多少の遅延はあったとしても請負契約の解除原因となるほど工事が遅延することはなかったと考えられる。ところが、昭和五四年一月四日に原被告と住民らが話し合った際、原告が住民に対して施主としての責任を認めない態度をとったため、今後に不安をもった住民が反撥し、工事再開に同意しなかったのであって、このとき原告がもっと柔軟な態度をとり、住民に対しては施主としての基本的な責任を表明したうえ、その責任を請負人に負担させようとしていれば、事態をこじらせることはなかったと考えられる。確かに付近住民の要求は、一月四日においてもまたそれ以降においても、過大ではないかとの疑念はあるが、住民らの不安には無理からぬ面もあったわけであるから、被告が責任を認めているときに、注文主と請負人のいわば内部関係に関する約定を盾に、施主としての責任を免れようとするのは余りに頑なであったといえよう。従って、住民の態度に対する評価は別として、三月一二日まで工事を再開できなかったことの原被告間の内部的な責任を被告に帰せしめるのは相当ではない。

2  次に三月一二日に原被告が裏協定を締結し、鳥居らに確約書を交付した後、工事を再開できることとなったが、三月二五日に鉄砲水が憤出して工事が中断したことは工事人としても地形上予測不能のことであったし、これに対する被告の対応からして、右事故による遅延を被告に帰せしめることはできない。

3  その後六月頃に生じた原告と鳥居との敷地を巡る境界問題発生による工事の遅延は、原告のいやがらせともいえる頑迷な態度に基因しており、また原告が被告に工事再開の前提となっていた鳥居宅の補修を拒否したのであるから、これによる遅延は被告の責任とはいえない。

4  その後九月から翌五五年五月頃まで被告が工事を再開できなくなったのは、被告が多大の出費をして、不要とも思える補修工事をしたにもかかわらず、原告とその弟の松波昇や新たに代理人となって交渉した田中久司が付近住民の反撥を買ったためであって、行政指導のもとで円満な工事の続行を望む被告が、工事を再開しなかったことには巳むをえない事情があったというべく、被告に責任があるとはなし難い。

5  五五年六月に原告が仮処分を申請した後にあっては、住民が物理的な妨害行為に出ることは予測しえなかったけれども、住民は依然として工事再開には反対であることを表明していたから、前項同様円滑に工事をしたいとする被告が工事を強行しなかったことに責任を肯定するのは、住民との長期に亘る紛争が原告の頑なな態度によるところが多い事実関係のもとでは相当ではない。

6  以上において各時期を区分して被告の責任を検討したが、今これを全体的に総合して検討することとする。

被告に責任のある土留工事による鳥居ら居宅の損傷以来、住民が原被告になした要求には疑問の点があり、原告が全面的にその要求に応ずべきであったかには問題があるし、住民が工事に反対している際にも被告が工事を強行すれば物理的な妨害を受けることなくなしえたかもしれない。しかし、被告は各時期において住民に対し責任を表明し、補修工事を遂行し、もって住民は被告の対応を諒としていた。また、住民らは何が何でも工事に反対ということではなく、少なくとも原告と鳥居の境界問題が生ずるまでは、話し合いにより、ともかく工事の再期完成を図ることは、十分に可能だったはずであり、五四年三月の原被告間の協定により内部的な責任分担を決めていた以上、原告が損失を受けることなく事態を打開することはできたと思われる。それにもかかわらず、原告が終始頑なな態度をとり、住民の反撥を買ったため、ついに住民の協力を得られなかったのである。住民が原告に対し、施主としての誠意のある態度と対処を求めていたのであるから、原告としてもこれに応ずべきであるのは条理上当然というべきである。工事を行うのは被告であるが、施主たる原告が円滑に工事を行いうるように協力し、尽力すべきであるのに、これを怠ったことになる。このように住民と円滑な関係を保って工事を進めるようにと行政指導が為されているもとで、原告の不誠実さが事態を悪化させているとき被告が工事続行を控えたことに、責任を肯定するのは困難である。

四  以上判断のとおり、本件工事の遅延について被告には帰責事由がないから、履行遅滞を理由とする原告の解除は無効である。よって、その余の点につき検討するまでもなく原告の請求は理由がなく失当として棄却を免れない。

第二  反訴請求についての判断

一  請求原因第1項の事実、被告が工事に着工後完成する前に原告が履行遅滞を理由に契約を解除したことはいずれも当事者間に争いがない。また、原告主張の履行遅滞が存しなかったことは前項に判断したところである。してみると、被告主張のとおり、原告の解除の意思表示は民法六四一条による解除とみるべきであり、原告は被告に生じた損害を賠償する義務がある。

二1  被告主張の損害(一)項及び(二)項のうち、別紙第三目録二(2)の電気工事分についてはこれに添う証拠はないが、その余については《証拠省略》によっていずれも認めることができる。

《証拠関係省略》

2  ところで、右認定した損害額を合計すると八、七一八、八一〇円となり、本件請負契約金額八五〇万円を上まわる。しかし、民法六四一条所定の解除権は、請負契約の特殊性を考慮して注文者の利益のために定められた特別の法定解除権であり、注文者がこの解除権を行使すれば請負金支払義務を免れることとなるが、同条は約定の債権を失なう請負人の利益を保護するために、請負人が既に支出した請負費用やその得べかりし利益等の損害につき、注文者に賠償する義務を負わせたものである。従って、本条の場合に注文者が賠償すべき損害の範囲は、契約の解除と相当因果関係に立つ損害を全て含むことを原則とするが、その上限は約定にかかる請負金額をもって画されると解すべきである。残した仕事を完成させる義務を免れながら、請負金額以上の債権を取得させるのは、必要以上の保護を付与することとなるからである。本件において損害金が請負金額を上回ったのは、もともと請負金が低額すぎたか、或いは予測以上の支出が生じたかのいずれかであろうが、そのいずれであって、約定金額を超過する損害金につき被告が賠償請求しえないこととなるのは、何ら不当な結果とは言えない。右に述べたことよりして、被告が請求しうべき損害金は八五〇万円となる。また、請求原因第3項(三)の技術開発料一〇〇万円は、これを認めうるとしても、右と同様の理由により損害金として上乗せして請求しうるものではない。

3  被告が損益相殺として主張する五一〇万円を被告の被った損害八五〇万円から控除する。

三  よって、原告の請求のうち、三四〇万円とこれに対する反訴状送達の日(昭和五六年九月一〇日)の翌日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金については理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから失当として棄却することとする。

第三  よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉本順市)

〈以下省略〉

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